家族

2008年8月13日 (水)

母の新盆です。

昨年8月22日に84歳で逝去した母の新盆です。
P1000860 母は他界する2週間前までは普通に日々を過ごしていたのでしたが、本人が「体調が悪い」と言って病院に行ったら「すぐに入院して下さい」との事で入院しました。
私達家族に担当医からは「余命2週間です」と告げられていましたが、本人は案外元気でお盆で帰省した孫達とも会って楽しげな会話もし、他界する3日前には3歳になったひ孫に「大きくなってね」と頭を撫でながら話していたのでした。

*

日本女性の平均寿命86歳には少し足りませんでしたが、家族に必要以上の心配を掛ける事もなく静かに他界しました。
葬儀の日々を慌ただしく過ごしておりましたが、母の逝去を知った母の友人から逝去を悼み心温まる手紙を何通も頂きました。
母の友人は皆様ご高齢の方々でしたが、便せんに何枚も何枚も母の逝去を悲しみ、悼む言葉が綴られていました。
中には涙で文字が滲んでいるものもありました。
私の友人からも母の逝去を悼む手紙が数通頂きました。
母は姉と私を生み育て、孫達の成長を見守り、更に昨年は3歳と0歳だった2人のひ孫もその腕に抱く事が出来ました。
命のリレーのバトンタッチが行われたのだなぁと思っています。

合掌。

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2008年1月15日 (火)

家内と二人で冬の海を見に行きました。

私は鳥海山の北山麓の矢島町の生まれ育ちですが、私の家内は鳥海山の西山麓の海辺の町、仁賀保町の出身です。

仁賀保町は電子部品の大手TDKの創設者である斉藤憲三氏の出身地であり、創業の町です。家内の実家はその仁賀保町の中でも小さな漁港の真向かいにあり、海が大荒れになると道路一本隔ててはいるものの、瓦屋根に波飛沫が掛かるほど海に近いところにありました。家内は常々「私の心の原風景は冬の鉛色の空と荒れ狂う海の風景よ」と言うのです。こちらでは数日前から寒波が襲来し、激しい吹雪が続いています。その外の吹雪を見て「こんな時は海が荒れて私が一番好きな海だなあ、見に行きたいなあ」と誘われていたのでした。二人で視界が開Nec_0121 ける海辺に立ちましたが、足下は一面の雪に覆われ、波に洗われる場所まで砂浜が見えて、海は白い波頭が次々と押し寄せる荒れた海でしたが、家内は「こんなもんじゃなく、もっともっと荒れた海が好きだなあ」と言いながらもずーと海を見つめていました。10分程度見つめていたところで「寒いから、貴方は車に乗って待ってて」と促されて私は車に戻りました。

この日は道路の上に掲げられている気温表示板でも-3度が表示され、気象情報でも「この冬一番の冷え込みでした」と説明されておりました。それから10分ほど過ぎたところで家内もすっかり冷え切った体で車に戻ってきました。車で5分ほど暖をとって、再度1人で海辺に立って海を見つめ続けて20分、合計40分程海を見つめ続けて車に戻り一言「う~ん、元気を貰った、見にNec_0120 来て良かった」とニッコリ。波打ち際には視界の限りカモメが一列に行儀良く並んでいましたし、また海の上でも白い翼を翻しながら多くのカモメが飛び交っていました。家内はよく若山牧水の「白鳥(しらとり)は悲しからずや海の青、空の青にも染まず漂う」という詩を口ずさむみます。自分が生まれ24年間育った生家は老朽化の為に、建て替えられてしまったし、嫁いで31年間も自分が掃除をして磨きながら、日々の生活をし、子供達を生み育てた私の家もまだ今ひとつ自分の家とは思い切れないからだと言います。車に戻ってきた家内に「だれでも自分が生まれ育ったふるさとは忘れられないものなんだろうね、だから在郷ふるさと会などは毎年多くの出身者の参加で賑わっているそうだよ」と話したところ、家内も「分かるな~」と頷いていました。皆様のふるさとはどんなところでしょうか?勿論しっかり心に抱いて大事に守っていますよね。

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2007年12月 9日 (日)

長女と孫が帰省しました。

Nec_0039 年末年始は何処の交通機関も混雑するので、それを避けて少し早いのですが長女の美濃里と初孫の響輝が帰省しました。

三歳半になる孫は少し見ないうちにまた大きくなっていました。そして会話も大分成立する様になってきました。沢山のおもちゃでも遊ぶのですが一番のお気に入りのおもちゃは携帯電話です、現代っ子ですね。私たちが使い終えた携帯電話をこの子に持たせているのですが、それに飽きたらず充電中の私たちの携帯電話を使ってピコピコして実際に電話を掛けてきます。

Nec_0037_2今朝も留守番電話に家内の携帯電話からの発信が何度もあり、家内は家に居るのに不思議だなあと思って掛け直してみたら、孫が「もしもし」と返事をしました。驚いて「どこにいる?」と言ったところ、「ここだよ~」と携帯電話を手に走ってくるではありませんか、参りました。

*

私のパソコンにも興味津々で「キーボードをピコピコする」のももう間もなくかなあとも思います。日中の行事を終えて帰宅したら、早速歓迎の肩車をされました。二人の健やかな成長を願うのみです。

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2007年10月 8日 (月)

母の49日法要を執り行いました。

071007_090925 さる8月22日に永眠した母澄子の49日法要を自宅で執り行いました。この日に合わせて娘達も帰宅し、姉の家族や従兄弟の家族などに集まってもらい供養を致しました。享年 84才でしたので天寿を全うしての逝去ですが、家族としてはもう少し長生きしてもらいたかったと思う気持ちがありますし、寂しさも感じます。また改めて母の冥福を祈りました。                                                         合掌

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2007年9月 4日 (火)

初孫の響輝(ひびき)です。

Dvc00098_m 東京に嫁いだ私の長女 美濃里の息子で私の初孫です。
3歳3ヶ月になり、やんちゃの盛りですがそれ以上にかわいさで一杯です。
この子は里帰り出産の為、実家の近くの本荘市で出産しましたが生まれてすぐに心臓に異常がある事がわかり、すぐに精密検査が行われました。
その結果 「ファロー四徴症」 と言う難病である事が判明しました。
「心臓に難病」と聞いた時には体から力が抜ける感じがありましたが、お医者様を信じて治療を託しました。
その為東京へは帰らず、私の家で治療と療養を続けました。
生まれて5ヶ月目で1回目の手術を受け、1歳10ヶ月で2回目の手術を受けました。

2回目の手術を終え、点滴の管がつながったまま回復室で麻酔から覚めた幼いこの子がやっと私たちを見つけて力なく手を振った姿は今でも忘れられません。
しかし、その後の経過は順調でお医者様からも「時折検査に来て下さい、もう大丈夫」と言ってもらえるまでになりました。
現代医学のすばらしさに感謝しました。
そしてすくすくと成長し今日に至っています。
こんな経験をしての初孫ですのでかわいさは格別のものを感じます。
誰でも皆同じことを言いますが「我が子を育てる時は夢中でわからなかったが、孫のかわいさは格別だ」という言葉には私も同感です。
特に遠くからでも私を見つけると「じーじー」を叫びながら全力で走り寄ってくる姿には愛しさがこみ上げてきます。
私が座卓で仕事をしている時には、背後から私の膝に足をかけ、更に腰を踏みつけ、シャツを引っ張り首にしがみついてよじ登り、肩車をして「やったー」と喜んでいます。
そんなやんちゃをされても決してうるさいとも感じることなく、むしろまとわりつかれる事が楽しくも感じられるのは孫ならではの事なのでしょう。
夜、寝る前には必ず私と相撲をします両手を床について「はーっけよーい」とかけ声をかけて全力で私にぶつかってきます。
一勝一敗になるのがお約束です。
その後ぎゅーと抱きしめて「明日も元気に遊ぼうね」と言って床につきます。
今年の4月に一度東京に帰ったのでしたが、お盆に帰省した折りに母の入院や葬儀があり家の手伝いで今まで残っていたのでした。
そんな娘親子ももうすぐ東京に帰ります。
寂しくなると思いますが新しい家庭を築くのを見守るのが親の役目と心得て笑って送り出してやりたいと思う今日この頃です。

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2007年9月 1日 (土)

自宅での祭壇飾り

200708310803000 さる8月22日逝去し、24日の火葬の後自宅に備え付けた亡き母 澄子の祭壇飾りです。

ちょうど一週間飾り付け、毎朝水とお茶をお供えし、ロウソクを灯し、線香を立てて、ひたすら冥福を祈りました。

その祭壇を本日取り外し、位牌は自宅の仏壇に納めました。とても穏やかな顔をしている遺影は仏間の壁の亡き父の隣に並べて掲げました。安心したような顔に見えます。

菩提寺の高建寺住職様から戒名は 豊潤院澄月賢妙大姉 と名付けて頂きました。とても良い戒名だと思い感謝してます。                       合掌

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2007年8月26日 (日)

母の葬儀が無事に終了しました。

私の母、佐藤澄子の葬儀が滞りなく終了いたしました。

多くの方々に参列していただき葬儀を執り行いました。

東京や横浜や、母の生家である、弘前や青森からもはじめ遠路の方々からの参列していただきました。皆様から心のこもったご供養をしていただき、母も安心して旅立ったと思います。そして30年前に分かれた父と再会し、積もり積もった話をしている事と思います。皆様有り難うございました。

                               合掌 

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2007年8月24日 (金)

母が永眠しました。

8月22日 午後5時08分 私の母 佐藤澄子が永眠いたしました。
享年84歳で天寿を全うして静かに息を引き取りました。
8月6日まで普通に過ごしていたのでしたが、8月8日に体調不良で病院に行ったところ「急性肺炎なのですぐに入院して下さい」と診断されて入院しました。
そして精密検査の結果、「急性白血病」との診断があり、回復は絶望的と言い渡されました。
入院して2週間、手厚い看護を受け、孫やひ孫の見舞いを受けてニコニコしていましたが22日に逝去しました。
火葬は24日 午後1時から矢島町 斎場にて
お通夜は24日 午後5時から自宅にて
葬儀は25日 午後1時から 高建寺 矢島町立石字上野 61
で執り行います。
生前のご厚誼に深謝申し上げながら報告申し上げます。

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