文化・芸術

2015年2月19日 (木)

プロスキーヤー三浦雄一郎氏の講演会がありました。

三浦雄一郎氏富士山でのスキー直滑降エベレストの8,000m地点からのスキー滑走で世界に名を知られるスキーやであり、更に70才と75才と80才で世界最高峰のエベレストに登頂した冒険家としても有名です。

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80才でエベレスト登頂時は世界最高齢の登頂者として世界中に紹介されました。

講演のタイトルは「夢を追い続けて」で講演内容は「高い目標を持ち、着実に進め」と情熱あふれる講演でした。

75才で2回目の登頂の翌年にスキーで5カ所の骨折を負いながらも運動を続けることで克服して80才で3度目のエベレスト登頂を目標を立て実現した三浦雄一郎氏は講演の最後で自分の人生は「食事と運動と夢を持つ事」と話されました。

現在83才でしたが今抱いている夢は「90才でエベレスト登山に挑戦したい」との言葉を聞いて驚きました。

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2013年4月 3日 (水)

由利高原鉄道・鳥海山ろく線の絵はがきが出来ました。

この度、由利本荘市出身で私の母校である本荘高等学校の先輩で「絵筆を持った詩人」とも呼ばれている央画壇で活躍中の洋画家”五島まさを”画伯のご厚意で「鳥海山ろく線・絵はがき」が完成して、発売開始されました。

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「h25.3.21 由利高原鉄道・五島まさを・絵はがきのラシ表面.pdf」をダウンロード

全国各地の風景を描いた五島まさを画伯のイラストカレンダーは全国でも高い人気を博しております。
  

私も毎年、知人から五島まさお画伯の水彩画カレンダーを頂戴しておりますが、全国各地の風景画は素晴らしい作品ばかりです。

由利高原鉄道の公式サイトでご確認下さい、一流の水彩画です。

由利高原鉄道・鳥海山ろく線の公式サイトの記録には

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この度の絵はがきは、由利本荘市出身の五島まさを画伯が「こんなにすてきな風景があることを知っていただき、足を運んでもらいたい」との思いで1年半をかけて何十回も足を運び100枚以上の水彩画を描かれました。絵はがきではその内24枚を厳選して収録しております。旅の思い出や、これから行きたいという思いの栞にいかがでしょうか?
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と記載されておりまして、五島まさを画伯の愛郷心と情熱に地元の住民の一人として感謝の気持ちで一杯です。

そして、この様な上級レベルの書き下ろし作品をプレゼントしてくれた事に感動しました。

これでまた「鳥海山ろく線」に素敵なグッズが一つ増えました、有り難い事です。

これから運行される年間イベントも紹介します。

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「h25.3.21 由利高原鉄道・五島まさを・絵はがきチラシ裏面.pdf」をダウンロード

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2012年5月29日 (火)

お釈迦様の誕生祝いに参加して参りました。

矢島仏教会(4宗派6ヶ寺)の主催による花まつり、今年は金嶺山龍源寺を会場に執り行われ参加して参りました。

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皆様がよくぞご存じの行事ですが「花まつり」とは、仏教の開祖であるお釈迦様のご誕生をお祝いする法要で、他にも甘茶を潅(そそ)ぐ行事なので「潅仏会(かんぶつえ)」とか「降誕会(ごうたんえ)」「仏誕会(ぶったんえ)」とも呼ばれています。H24526_dscf3430

お釈迦様は、生まれた直後に周囲を見わたし七歩あるいて右手を天に指し左手を大地に向けて「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったとの言い伝えがあり、私の母校であります「駒澤大学・花まつり」の記事では、お誕生の際に、甘露の雨が降った、という説話が元になっていると紹介されております。

更に「天上天下・・・」の言葉を茶化して「世界で一番、私が偉いのです」等と冗談で言う方が居りますが、私が教えて頂いたのはは「無限に広い宇宙の中で自分より尊いものはないという意味で、人間一人ひとりが宇宙にただ一つしかない命を頂いている尊い存在だという意味だ」と伺っております。

当番寺の住職の先導でお経が唱えられて、その後に可愛いお稚児さんを始め参列者が花御堂(はなみどう)に天地を指さしたお釈迦様の像に甘茶を掛ける潅仏(かんぶつ)が行われ、生誕を祝いました。

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龍源寺には檀家さんで構成されております梅花講があり、御詠歌が本堂内に響き渡りました。

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私の母校である駒澤大学の「花まつり」サイトを紹介します。

花まつり行事に一区切りを付けた後に、

当町出身戦没者慰霊法要が行われて、遺族会会長から

「戦没者に感謝の誠を捧げ、二度と悲惨な戦争を起こしません」

追悼と不戦の誓いがありました。

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2012年4月20日 (金)

矢島茶会で邦楽の演奏会が行われます。

今年で第10回を迎えました矢島茶会で今年は

「一調一管邦楽花舞台」

として、鼓と笛の演奏が行われます。

以前の茶会でも拝聴した事がありますが、見事な演奏で感動した素晴らしい演奏でした。

演奏会開催のチラシを掲示して、更にこのチラシをダウンロード出来る様にセットします。

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「邦楽花舞台ポスター.pdf」をダウンロード

お問い合わせは住職が私と小学校から大学まで1学年先輩の同窓であります矢島町の名刹龍源寺です。

お寺の本堂で聴く邦楽は体に心地良く染み入り、私は「命の洗濯だな」と感じました。

お早めにチケットをお求めになりまして、お聴き下さいます事をお勧め致します。

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2008年12月 6日 (土)

日本経済同友会代表幹事、牛尾治朗氏の講演を聴きました。

牛尾治朗氏 はウシオ電機の会長で日本を代表する経財界人のひとりです。
牛尾氏の講演を聴く事が出来た機会は、今から約30年前、青年会議所時代に講演を聴いて以来、今日までご教導頂いている、林達夫先輩(会社はアークデザインで経済同友会幹事)を囲む会、「鬼林会」ででした。
林達夫先輩は40歳の定年がある青年会議所の現役時代は勿論の事、卒業されてからも林先輩を慕う全国のメンバーが集う「鬼林会」を開催し、年に1度の会ですが今年で第35回を数えており、林先輩は74歳になっておりましたが現在も講演活動を続けておられて、最新情報で1,402回の講演会を終えたとの事でした。
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P1001416 林先輩の講演はまず、「無法松の一生」を一曲気持ちよさそうに歌ってから始まる独特のスタイルで「浪花節的人生観」を分かり易く、楽しく講演して下さいます。初めて聞いた時には驚きますが講演の内容がズーと心に残ります。機会を得て2度3度と聴き、5回10回聴いても話の内容は変わりませんが私にはとても印象深い講演でした。私は林先輩からのメッセージは「貴方は今、全力で生きていますか?」と受け止めております。
そのご縁で、牛尾治朗氏の講演を数回聴かせて頂きました。

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P1001415 私が名刺を差し出してご挨拶させて頂きましたら「秋田県か、辻兵吉(秋田県商工会議所前会頭)さんが亡くなられた時に、秋田さきがけ新聞から依頼を受けて追悼のことばを書いたよ」との事でした。
勿論私は「その記事を読みました」と答えて、しばし懇談。
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P1001417 牛尾氏のこれまで聴いた講演の中で私が最も印象深かったのは「アメリカから日本に電話すると3分間30円なのに日本からアメリカに電話を掛けると3分間360円だった。これ程大きな通信料金格差があっては世界経済に対して互して戦えないと、当時国際電話はKDDの独占事業だったのに対抗し、同志を募って第二電電を創設して国際通信料金の解消に努めた」との部分です。
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この日の講演も最新の経済状況を解説され、レポート用紙5枚にメモを取りましたが、その一部のみ記載致します。
・アメリカで黒人系のオバマ大統領が誕生する事を世界は驚愕している。オバマ大統領をヨーロッパは後押しする事になるだろうし、中国でも人民日報で「アメリカの民主主義は本物だ」と驚きを隠さず報じている。それに比べて日本ではこの事の重大さを強く受け止めていない、政治に対して鈍感になっている。
・アメリカ政府は証券会社のリーマンブラザーズの経営悪化に対して公的援助をせず、破綻させたが、自動車メーカーのビックスリーの経営危機はアメリカ国内に於いても1証券会社と1自動車メーカーとでは影響を受ける米国民の数と金額は比較にならない程多く、アメリカ政府の公的資金投入の可否が世界経済に及ぼす影響は大きい。1月の中旬にその方向性が示されるであろう。
・今日のアメリカ発の世界経済不況はアメリカ国内のごく僅かなモラルを失った投機筋が元凶だ、等々、書ききれません。

講演の最後には、講演前に渡された経営者の心得のメモの解説でした。

1.「将(おく)ラズ、迎(むか)エズ、応(おう)ジテ而(しか)シテ蔵(おさ)メズ」・・・・・・・荘子
解説は、「クヨクヨするな、問題を迎え入れるな、得意分野を伸ばせ、心に残すな」

2.「水至リテ渠(きょ)成ルガ如シ」・・・・・・・・・・范成大
解説は「水の流れをよく見て堤防を作れ、弱い部分を補強せよ、決して逆流を起こす様な水路を造ってはならない」

3.「北辰居其所(ほくしんそのところにいて)、而衆星共之(しこうしてしゅうせいこれにしたがう)」
解説は「北極星の様に不動の位置に身を置けば、周りの星達は従う」
更に解説を加えられ、之(したがう)とは両袖に手を入れて頭上に掲げる、中国流の挨拶の様を表す、
との事でした。

私にとっては貴重な講演を拝聴させて頂きましたし、私自身の充電の時間でした。

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2008年4月19日 (土)

秋田県立美術館と(財)平野政吉美術館

秋田県立美術館は経年劣化が進み、現在の耐震基準も満たしていない事から、現地での補強改築か、又は現地での新築建設か、はたまた、お堀を隔てた近隣の秋田市中央街区再開発事業に合わせて、移転新築ビルへの入居か?と県民の意見も割れていたのでしたが、この美術館を運営管理する指定管理者である、(財)平野政吉美術館の理事会で移転し、再開発事業への参加を決定して、これまでなかなか進められなかった秋田市中央街区再開発事業が1歩進む事になりました。
私は久し振りにこの美術館を訪問して暫しの美術鑑賞をしました。
千秋公園の堀端に建つ秋田県立美術館Nec_0394 は昭和42年5月5日に開館しました。
双曲線を描く屋根が公園の樹木を背景にそびえ、美術館の建物を特徴づけています。
秋田県立美術館1階の美術ホールは、県民のための貸しギャラリーです。創作発表の場として利用され、生涯学習や芸術文化活動の拠点ともなっています。
2・3階は財団法人平野政吉美術館所蔵作品の展示室です。「秋田の行事」をはじめとする藤田嗣治の作品やヨーロッパの絵画を常設展示しています。
平成18年度からは、財団法人平野政吉美術館秋田県立美術館の指定管理者に指定され、美術館全体の運営にあたっています。
秋田県立美術館を維持運営する指定管理者の財団法人平野政吉美術館について
Nec_0396
財団法人平野政吉美術館「青少年が豊かな人間に」と、平野政吉(明治28年~平成元年 1895~1989)が収集した美術品の内から320点を寄付し、昭和42年(1967)に開館しました。Nec_0397
平野は、秋田県内有数の大地主の長男として秋田市に生まれ、若い頃は画家志望でした。また、わが国初期の航空界に夢を抱き、飛行機の操縦に熱中し墜落もしています。しかし、美術への愛着は強く、10代から93歳で亡くなるまで収集の情熱は衰えませんでした。浮世絵、陶器…等々を集めましたが、特に藤田嗣治との交友から貴重な代表作を所有しました。
藤田嗣治(レオナール・フジタ)は、東京美術学校を卒業後、フランスに渡り、モディリアニらとともにエコール・ド・パリの代表的画家として活躍しました
平成18年には藤田嗣治の生誕120年の年でした。
平野が寄贈した現在の館蔵品は
○藤田嗣治作品とその遺品資料
○西欧絵画
○秋田蘭画など日本初期洋画
○明治初期洋画○中国絵画など5分野で601点です。
この美術館の目玉作品は「世界のフジタ」と称される藤田嗣治作の
油絵「秋田の行事」があります。
上記のホームページの中から「美術館内風景の大展示室(2階)」をご覧下さい。
南側から見た油絵がありますが鑑賞している人が小さく見えるのがおわかり頂けますでしょうか。
「秋田の行事」は、高さ3.65m×横幅20.50mの壮大な油絵です。
カンバス張りでは、20世紀世界最大といわれる「秋田の行事」は1937年(昭和12年)美術館建設を計画していた平野政吉氏の依頼で描かれたもので、氏の為書きとなっています。
製作後30年目に初めて、本美術館で公開された。素朴、豊潤な秋田の風土と「秋祭り」「梵天」「竿灯」を静動対照的に描き分けながら当時の秋田風俗を描き尽くしている。
しかもこの大作をわずか174時間(15日間)で完成、「この記録は永遠に破られないであろう」と作者はその健筆を誇った、と説明されております。
この大作は近い将来、秋田市中央街区再開発事業により、近代的なビルの中に最大級の待遇を施した大ホールに展示される事になります。

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