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2011年4月29日 (金)

鳥海山の山開きがありました。

東日本巨大地震・津波で被災されました皆様に心からお見舞い申し上げますと共にお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

私のブログの表紙に大きく掲げているのは私の町から見える鳥海山の雄姿です。

その鳥海山の矢島登山口の山開きがあり、参加してきました。

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姿麗しい名山ですし、山麓一帯の人々にどれほど大きな恵みを与えてくれているかは計りしれません、と、このブログの2008年4月26日にも記録して紹介しました。

1974年(昭和49年)第70回芥川賞受賞作家の森敦の小説「鳥海山」の冒頭ではこの様に表現されており、再掲します。

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遠くこれを望めば、鳥海山は雲に消えかつ現れながら、激しい気流の中にあって、出羽を羽前と羽後に分かつ、富士ににた雄大な山裾を日本海へと曳いている。ために、またの名を出羽富士とも呼ばれ、ときに無数の雲影がまだらになって山肌を這うに任せ、泰然として動ぜざるもののようにも見えれば、寄せ来る雲に拮抗して、徐 々に海へと動いていくように思われることがある。海抜二、二二九メートル、広い庄内平野を流れる最上川を挟んで遥かに対峙する月山よりも僅かに高く、ともに東北地方有数の高山とされているが、たんに標高からすれば、これほどの山は他にいくらもあると言う人があるかもしれない。
しかし、鳥海山の標高はすでにあたりの高きによって立つ大方の山々のそれとは異なり、日本海からただちに起こってみずからの高さで立つ、いわば比類のないそれであることをしらねばならぬ。

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これは私が見ている北斜面が見える秋田県側ではなくて、真裏に当たり南斜面が見える山形県庄内地区から見た表現ですが、さすがは芥川賞受賞作家の文章ですね、見事なまでに鳥海山を表しています。

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また、このブログの2010年4月25日では、今から47年前である昭和39年(1964年)に初版が出版された随筆「日本百名山」を著した深田久弥の「鳥海山」を紹介しましたが、再掲します。

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名山と呼ばれるにはいろいろの見地があるが、山容秀麗という資格では、鳥海山は他に落ちない。眼路限りなく拡がった庄内平野の北の果てに、毅然とそびえ立ったこの山を眺めると、昔から東北第一の名峰とあがめられてきたことも納得出来る。

東北地方の山の多くは、東北人の気質のようにガッシリと重厚、時には鈍重という感じさえ受けるが、鳥海にはその重さがない。颯爽としている。酒田あたりから望むと、むしろスマートと言いたいほどである。それは鳥海が連嶺の形をなさず、孤立した一峰であるところにも基因する。

標高は東北の最高とは言え、わが国の中部へ持ってくると、決してその高さを誇るわけには行かぬ。しかしその高さは海ぎわから盛り上がっている。山の裾は海に没している。つまりわれわれはその足元から直ちに2240メートルを仰ぐのであるから、これは信州で日本アルプスを仰ぐのに劣らない。
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私の地元の鳥海山の矢島登山口山開きに際して上記お二人の名文章を再度紹介致します。
このブログをご覧下さいました皆様、どうぞ鳥海山を楽しみにお越し下さいませ。

鳥海山のすばらしい景色は、由利本荘市公式サイトの日本百名山「鳥海山」写真 館でご覧いただけます。

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