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2010年10月

2010年10月27日 (水)

矢島スキークラブ創立80周年記念式典が行われました。

私が所属する地元

「矢島スキークラブ創立80周年」

記念事業が行われました。

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記念式典・及び祝賀会には遠路の所、秋田県スキー連盟の副会長始め多数の理事各位、隣接スキークラブの会長はじめスキー仲間、そしてクラブ員の合わせて約80名のご参加を得て盛大に開催されました。

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式典に先駆けて記念講演が行われ講師は、SAJナショナルデモンストレーターの松沢寿さんと同じくSAJナショナルデモンストレーターの松沢聖佳ご夫妻でした。
講演ではスキー技術向上の為の努力と後輩指導に情熱を傾ける気持ちが伝わりました。

続いて式典が始まり、冒頭に矢島スキークラブ東海林晃会長の式辞がありました。

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その式辞には矢島のスキー発祥からスキークラブ発足、その後の経過など詳しく凝縮された見事な内容で、所属している私も矢島のスキーの歴史を振り返る良い機会となりました。

矢島のスキーの歴史の紹介など余り素晴らしかったので、私のブログに記載させて頂きたいと東海林会長に原稿の譲り受けをお願いした所、快諾して頂き、早速送って下さいました。

以下は、東海林晃会長の式辞を記載させて頂きます。
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H221023_4ご臨席の皆様、そしてまた、松沢ご夫妻には何かとご多用のところ、私どもの80周年事業の為にご来町頂きまして、誠にありがとうございました。

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新潟県高田市におけるわが国のスキー発祥から100年という記念すべきこの年に、私たちスキークラブは80年の節目を迎えることができるわけですが、これは、誕生時からの郷土の先人先輩のたゆみない情熱と努力があってのものですので、先ずは郷里の先人先輩に感謝を表したいと思います。

矢島でのスキーは、高田から1年遅れの大正元年1912年の12月半ば、冬休みで東京から帰っていた大学生二人が、八森城址桑畑、現矢島小学校の丘で滑ったことに始まりました。子どもたちは教室の窓から身を乗り出し、若雪の上を滑走する不思議な光景を眺めたということです。
 それから5年後の、大正5年、1916年には、子ども同志の手作りスキーが流行りだしていたと聞きましたし、昭和5年、1930年には第1回矢島小学校スキー大会が町役場脇の上ノ山で開かれたとも聞いております。

クラブ誕生シーズンの昭和7年3月は雪の鳥海山初登頂の年であり、矢島人による快挙でありました。
鳥海山の夏山の歴史は、開山から今日まで、1160年の歳月が歴史に刻まれておりますが、スキーとアイゼンを使用しての雪山登頂は、この時までなされてはおりませんでした。

以来、矢島のスキーは、雪の鳥海山を求めた大人のアールベルグスキーと子ども達が野山の斜面を滑り降りる遊びのスキーで育ったものでした。

 昭和14年、1936年2月には鳥海山1合目籠立場のある波耶多山、標高424mをスタートに、ゴールを町役場に、全長4km・標高差350mの登山道を使った第1回鳥海山滑降大会が、東京日日新聞、現在の毎日新聞社から贈られた優勝旗を懸けて行なわれ、以後、戦中戦後を通して20年間継続されました。

70歳を超えた私たちの少年期は、世界大戦の終結から国民総力で復興へ取り組んだ勤労と耐乏の生活でしたが、信じられないほどの活力とスピードで国も国民生活も復活し成長していく歳月でした。
終戦から2年すると町木工屋の店先にはイタヤ・桜・ブナなどで作ったスキー板が並ぶようになりました。締め具も革靴屋さん手づくりのものから始まりました。

昭和26年、鳥海山祓川ヒュッテの竣工以来、春・夏の鳥海山でのスキー合宿と20回続く鳥海山滑降・新設の八塩山アルペン、さらに、昭和36年からの県体スキー・全県中学スキー等、通年・隔年の定期行事が開催されるようになり、矢島の大会は民宿を受けてくださる町内・集落の熱意と町民の持て成しで大いに活気づきました。

矢島のスキーーが大きく飛躍したのは、昭和53年からの初夏の鳥海山での全日本A級公認大会・県スキー連盟公認大、さらに昭和59年、1984年の鳥海高原矢島スキー場の開設によって、競技・教育それぞれの部門でさまざまな催しに取り組むことができる様になった事でした。
リフト。圧雪車・レストハウス・ナイター設備等が完備されたスキー場では、子供から高齢者まで、文字通り、老若男女、沢山の人々がスキーを楽しむ事が出来る様になった事でした。

12月はスキー場で、シーズン最初、県内トップの県連公認大会が、5月末には鳥海山で県内最終の公認大会が開催されるようになりました。クラブでは、そうした環境の中で小学生の世話や指導が出来るようになりました。選手も競技役員も準指・指導員も多数育つ事が出来る様になりました。

 今日まで、私達が順調な活動を行うことが出来ました事、多少なりとも地域のスポーツ振興・観光振興に役立つことが出来ました事、併せて、それなりにクラブの歴史・伝統を保ちながら成長できました事は、偏に旧矢島町、由利本荘市・秋田県スキー連盟はじめ、多くの関係機関と関係各位皆様から頂いた数々のご支援ご鞭撻があっての事と、厚く御礼申し上げます。 

近年、急激な社会情勢の変化に伴い、スキーを取り巻く環境も大きく変わってしまいましたが、雪との生活にロマンを求めた先人のスキースポーツを忘れることなく、また生涯スポーツとしてのスキー、自然と人生の関わりを大切にして、今後も活動していく所存です。
皆様には更なる叱咤・激励、ご支援をお願い申し上げます。
本日は 誠にありがとうございました。

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矢島スキークラブの東海林晃会長は長く教職について居られ、更に矢島町の歴史に精通されており、矢島観光ボランティアガイドグループ「矢島見どころ案内人の会」の会長でもあります。
矢島観光サポーターブログ の2010年10月20日分にもその勉強会活動の一端が紹介されておりました。

私もこの式辞を聞きながらスキーの歴史を振り返り、先人・先輩のご努力に感謝し、私達も楽しみながら自分の技量を高め、後輩達の成長にお役に立てます様にと、再認識した創立80周年記念事業でした。

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2010年10月20日 (水)

あきた総合支援エリアの竣工記念式典がありました。

「あきた総合支援エリア」とは、秋田県立医療療育と秋田県立盲学校、秋田県立聾学校、秋田県立特別支援学校の特別支援教育と一つのエリアに集約して新規建設した施設です。

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全国初の試みでしたが無事に竣工し、今年の4月から開校しております。

かがやきの丘建設事業費は、

療育センター用地取得費、 1,245,000,000円
   〃    事業費、 3,753,000,000円
療育センター部分の小計、4,998,000,000円
学校部分の用地取得費、 1,743,000,000円、
  〃   事業費、   4,903,000,000円、
学校部分の小計     6,646,000,000円
 総事業費の合計、  11,644,000,000円

(百十六億四千四百万円)で秋田県にとっても大事業でした。

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式典では修礼、開式のことばに続き、国歌斉唱の際に君が代を手話通訳されているのを私、は初めて見て驚きました。
国旗・国歌はかくあるべきと私は思いました。

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知事の式辞では、「あきた総合支援エリアかがやきの丘」の竣工は誠に喜びに堪えません。その後、この事業の経緯を振り返り、長年にわたり障害児・者の医療・福祉・教育に情熱を傾けられた関係各位に深く感謝申し上げます。今後も秋田県の医療療育並びに特別支援教育の拠点としての支援機能を発揮する様に期待しております。全国的にも期待や関心が高く、関係各位には尚一層のご理解とご協力を賜ります様にお願いします。」との挨拶でした。

続いて、県議会代表からの祝辞秋田県教育委員会あいさつ秋田県療育機構あいさつ、に続き、児童生徒代表お礼のことばがありました。

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小学部は盲学校の児童中等部は聾学校の生徒、そして、肢体不自由の高等部の代表がそれぞれ素晴らしい御礼のことばを述べて、学ぶ事に対する強い意欲が感じられて感動しました。

ここで学んだ子ども達が自信を持って社会に飛び出す事を祈る気持ちを新たにした素晴らしい式典でした。

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