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2008年5月27日 (火)

秋田県防災の日、あの日を思い出します。

秋田県男鹿半島沖を震源地をする日本海中部地震から25年が経ちました。
日本海中部地震について、秋田地方気象台の記録を紹介します。
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Dscn5884 1983年(昭和58年)5月26日11時59分男鹿半島の北西約70㎞でM7.7の地震が発生し、東北各地で大きな揺れがあったほか、北海道から関東・中部・近畿・中国地方にかけての広い範囲で有感となった。
 仙台管区気象台は12時14分に東北地方の日本海沿岸と陸奥湾(5区)に「オオツナミ」の津波警報を発表した。
 北海道から九州にかけての日本海沿岸で津波が観測された。津波の第一波到達時刻は、深浦で12時07分、男鹿で12時08分、能代で12時24分、酒田(山形県)で12時42分等であった。津波の高さの最大は、能代港で194㎝、酒田で82㎝、深浦で65㎝、男鹿で53㎝、八戸(青森県)で10㎝等であった。現地調査によると、青森県沿岸から秋田県男鹿半島沿岸にかけては平常時の潮位より5~6m、北海道奥尻島沿岸では3~4m、佐渡、能登半島、隠岐の沿岸では2~3mの高さに達した。
 この地震・津波により死者104名家屋の全半壊3,049棟船舶沈没・流失706隻など大きな被害が生じ、被害総額はおよそ1,800億円に達した。
 今回の災害は津波による被害が大きかったことが特徴で、被害は日本海沿岸の8道県の広い範囲におよんだ。また、死者のうち100名は津波によるものであった。
 気象庁はこの地震を「昭和58年(1983年)日本海中部地震」と命名した。
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Eyes0101 私はこの地震の日は、秋田市での用事を済ませて、日本海の側を走る国道7号線を南下して本荘市に向かっている時にラジオの速報で地震を知りました。
車を運転していたのであまり揺れは感じませんでしたが、ラジオの速報で大きな揺れであった事を知りました。25年前のその日はとても天気の良い日で、私は丁度、国道から眼下に日本海が見える場所を走っていましたが、12時14分の津波警報が発令された事もラジオで聞きながら、車の窓から見える日本海を見て「こんなに穏やかな海なのに津波警報か?」と不信に感じながら、当時の由利土木事務所、現在の由利地域振興局建設部の港湾課係に直行して、「津波警報が出ましたので、マリーナ・海水浴場にパトロールに行きませんか」と声をかけた所「我々も今、行こうと思っていた所です」との事で、一緒に本荘マリーナ・海水浴場に行きました。12時30分頃マリーナに着いた時も海はとても穏やかでした。
100メートル程、海に突き出た堤防の突端では、2人の釣り人が釣り糸をたれていましたが、その人達に向かって県の港湾係職員が「津波警報が発令されましたので、岸に戻ってきて下さ~い」とハンドマイクで呼びかけた所、釣り人達はゆっくりと竿をたたみ、クーラーバックを担いで海岸の私達の側に戻ってきました。釣り人達は「津波警報ですか?こんなに穏やかな海なのに」と不思議そうな顔をして一緒に海を見つめていました。
そうこうしている内に、海面が静かに、そしてゆっくりと沖へ沖へと引いていきました。
先程、釣り人が居た堤防を見ていると水位の低下がよく解りました。海面の水位がゆっくりと1m、2m、3mと下がっていくに連れて、堤防の海藻の張り付いた側面が見えて来て海水浴場の砂浜は徐々に海底の砂浜を広々と表してきました。最大に海水面が下がったのは、堤防を目安にすると5m位だと思います。
海水浴場の砂浜を守っている海岸から沖合約100mの地点に設置されているテトラポットが積み上げられた離岸堤もすっかり根元まで現れました。
海水が引いて、広々とした海水浴場の珍しい現象に二組のカップルが砂浜に降りて行ってはしゃいでいました。静かに潮が引いて行く、その時点では正直に言ってその位、緊張感はありませんでした。ただ港湾係職員は又ハンドマイクで「津波警報が発令されていますので海岸に上がって下さい」と呼びかけてそのカップル達は海岸の堤防の上まで上がりました。
それから5分程度過ぎた時に、水平線に横一列の白い帯が見えました。それが徐々にハッキリと見える様になりました。それがどんなものなのかはその時点でも理解出来ませんでした。しかし、ゆっくり確実に私達に近づいてくる白い帯は徐々にその姿が見えてきました。それは通常の海水面から10mも盛り上がって波頭がめくれる様な形で海岸に迫ってきます。例えて言うならば、サーフィン映画に出てくるパイプラインの様な形です。
15512512007681294 それでも、水平線から海岸までの近づくまでにその大きさとスピードはよく解りませんでしたが、先程、釣り人が居た堤防にぶつかった時からその凄まじいエネルギーを理解する事が出来ました。これは私が見た感想ですが、海面の高さは約10mで、堤防の突端にぶつかってから海岸に到達するそのスピードは時速約50~60kmと感じました
海底面から約5mの高さの堤防を軽々と飲み込み、その堤防の上,、約5mを波が走ります。
私はその有様を葛飾北斎の波が荒れ狂い、波の奥に富士山が描かれた絵を思い出されました。まさにあの絵に描かれた波の様子そのままでした。
この地震の犠牲者は104人ですがその内、秋田県の被害者が83人でした。その殆どが津波によるものでした。
秋田県ではこの地震が発生した5月26日を「県民防災の日」と定めて自然災害に対する備えを呼びかけています。
あれから、25年ですが「災害は忘れた頃にやってくる」とのことわざもあります様に、この様な日に皆様も自然災害に対する物品の備えと共に、心の備えも考えてみましょう。

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