« 故 佐々木喜久治前知事の葬儀に参列して参りました。 | トップページ | 矢島茶会の午後の部 »

2008年5月19日 (月)

矢島茶会が開かれて参加して参りました。

私の町、矢島町は平成17年3月に近隣市町村と合併して由利本荘市となりましたが、矢島町は明治22年の市町村令が出来た時以来の町で、立町115年の歴史を重ねた町です。
その矢島独自の歴史と文化を伝承すべく「生駒顕彰会」が創設されております。
その「生駒顕彰会」が主催する第7回目の「矢島茶会」が澄み切った五月晴れの下で開催され、ご案内を頂戴致しましたので参加して参りました。

Nec_0494 後援には由利本荘市 、協力には遠州流宗家・曹洞宗 金嶺山龍源寺 ・茶道遠州会秋田県連合会・清楽茶道会秋田支部等となっております。
会場は歴代の生駒公をお守りしている菩提寺である名刹龍源寺 と隣接する道益苑と八森苑です。
Nec_0495
この日の行事は盛りだくさんでした。
まず、午前10時から茶会が開催されて町内外から多数の茶道愛好者が参集されており、和服姿のご婦人が多くてとても華やかでした。

地元の本荘市や秋田市・男鹿市など県内は元より、山形県庄内地区からは大型バスで遠州流茶道のご一門が訪問されておりましたし、東京からのお越し頂いたお弟子さんご家族ともお目に掛かり、歓談致しました。
私は茶道については全くの門外漢ではありますが、第1席の主客人(と呼ぶのかは分かりませんが)の席に着かせて頂き、お手前を頂戴致しました。
お茶を頂く前に、茶道に精通された本荘市のご住職から、床の間の掛け軸や花、花入れの説明、続けて茶道具の風炉Nec_0497 釜、棚(つい立)、水指、茶器、茶碗、茶杓等の説明があり、茶道はまさに日本の総合芸術だなと感じ入りました。

Nec_0499 床の間の掛け軸は元曹洞宗管長梅田信隆禅師の筆による「雲悠々 水潺々」でした。

Photo その後に華麗な手さばきでお茶が点てられた後に私の元に差し出され、しばし心静かにお茶を頂戴致しました。
私へのお茶が運ばれた後に会場の皆様へもお茶が運ばれました。

*

Nec_0498 この日の矢島茶会の会記に遠州流と矢島町のご縁が分かりやすく記載されておりましたので以下に転記致します。

*

 遠州流茶道の流祖である小堀遠州公は江戸初期の大名で茶人であります。幼少の頃より、父の英才教育を受け、茶の湯の伝統を受け継ぎ、徳川将軍家の茶道指南役となり、天下第一の宗匠の地位を得て、王朝文化の雅の心と茶道を融合させ、「綺麗さび」という幽玄・有心の独特の茶道体系を作り上げ、武家茶人の筆頭として活躍されました。また、建築、作庭、書画、和歌、美術工芸など多芸多才な総合芸術家として後生に名を残しております。
 讃岐藩の初代藩主である生駒親正公は、織田信長、豊臣秀吉に仕え数々の戦功をあげ、秀吉の配下で中老として厚い信任を得て、讃岐一国を与えられ高松に築城しました。
その後、2代・一正、3代・正俊、4代・高俊と56年にわたって西国大名の雄として重要な地位を占めていました。しかし、4代高俊公の時、不幸にも家臣間の不和抗争が生じ、お家取り締まり不行き届きの故をもって、1,640年讃岐全土を没収され、出羽の国矢島に移封されました。忠臣の家老、家臣とともに矢島に入国した高俊公は、居を八森の地と定め、この地を中心として城下町づくりがなされ、以来220余年の間生駒氏の統治が成されました。
 遠州公と生駒公との関わりは、3代生駒正俊公の正室と遠州公の正室が共に戦国大名で津藩32万石の大名となられた藤堂高虎公の養女であるという浅からぬ縁で結ばれています。
 この様に400年に及ぶ縁戚を持つ小堀家と生駒家の古よりの深い繋がりが、矢島の地で再び固められるかの様に茶会が繰り広げられます。


と解説されておりました。
龍源寺は昨年工事中だった本堂前の石畳や瑠璃堂などが完成し、尚一層、寺構えが充実されていました。

Nec_0501Nec_0502 
午後から行われた小堀宗匠の文化講演とピアノトリオコンサートの模様は明日記載致します。

|

« 故 佐々木喜久治前知事の葬儀に参列して参りました。 | トップページ | 矢島茶会の午後の部 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 故 佐々木喜久治前知事の葬儀に参列して参りました。 | トップページ | 矢島茶会の午後の部 »