故 佐々木喜久治前知事の葬儀に参列して参りました。
去る6日にご逝去され秋田市で執り行われました佐々木喜久治前秋田県知事の葬儀に参列して参りました。
会場の正面には佐々木前知事の現職時代に撮影されたと思われる襟に秋田県記章を付け、大きく引き延ばされた立派な遺影が掲げられてありました。
遺影はまさに私が記憶している佐々木前知事そのもので、とても懐かしく感じられました。
祭壇の両側には各界各層から百を超える花かごが追悼の意を込めて備え付けられており、当然の事ながら故人のご交流の広さを改めて感じられました。葬儀は導師である曹洞宗 天徳寺 ご住職以下7名の僧侶の皆様の読経により始まりました。私も菩提寺が曹洞宗ですので聞き慣れた読経が会場一杯に響き渡りました。
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導師退場後に告別式が行われて、5名の方から弔辞がありました。
始めに寺田知事から県政推進の大きな役割を担って頂いた事への感謝と「写真がご趣味の佐々木前知事には是非エベレストに登って、写真を撮られたら如何ですか、とお勧めしていたのでしたが、それを実現されたと聞いて喜んでおります」等の弔辞でした。
続いては総務省大臣官房総括審議官の岡崎浩巳氏からの弔辞でした。岡崎氏からは「私は自治省出身の佐々木前知事の後輩にも当たり、秋田県庁勤務時代に結婚をし、その仲人を佐々木前知事から快く務めて頂いて、生まれた子供が社会人になりました」との報告もありました。
次に秋田県商工会議所連合会会長 渡邊靖彦氏からの弔辞でした。渡邊会長からの弔辞は「産業の根幹をなす、交通網の整備に特段のご尽力を頂き感謝を申し上げます」との内容でした。
次には、秋田県農政部長、湯沢市長を歴任され現在は秋田県土地改良事業団体連合会会長であります高畑進氏からの弔辞でした。
高畑氏からは佐々木前知事が昭和51年に、小畑勇二郎元知事から請われて秋田県副知事に就任されて、二人並んである時は真剣に、ある時は和やかに県政を推進されてきた事などが語られました。また、「5期目の選挙の際には後援会長及び選挙対策本部長を務めさせて頂き、誠に光栄でした」との言葉もありました。
弔辞の最後は元・秋田県出納長 簾内絢一氏からでした。簾内氏からは「県政の各事業を持ち寄って知事に説明する予算査定の際などで、佐々木前知事から的確な指摘を受けて県職員のやる気を引き出して頂きました」との内容でした。
告別式の最後には喪主である佐々木治彦氏からのご挨拶があり「父はふるさと秋田が大好きで、秋田県副知事就任以前から退職したら必ず秋田に帰って住むんだと聞かされていました」との紹介も交えて参列者への御礼の言葉がありました。
私はブログの5月9日にも佐々木喜久治前知事からのご厚誼への感謝を記載させて頂きましたが、由利本荘市民として佐々木前知事の英断を忘れてはいけない事があります。それは秋田県立大学の本荘キャンパス建設を決断してくれた事です。
秋田県立大学を作るに当たり秋田市に1カ所に集中設置か秋田市と本荘市の分割設置かが、大きな県政課題となった時、それぞれのメリット、デメリットを十分に議論した後に佐々木前知事か出された結論は「秋田県の均衡ある発展を望む」として、分割設置案を選択されて本荘キャンパスが出来ました。
設置以降、県立大学の学生約800人と教職員約200人の合わせて約1,000人の人々が生活し、学生の常に若いエネルギーを由利本荘市にもたらし、市内外企業との共同研究なども着々と実績を上げている事は佐々木前知事のご英断によるものと深く感謝を申し上げます。
葬儀に参列して、在りし日を偲び改めてご冥福をお祈り申し上げました。
合掌
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