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2008年4月 7日 (月)

由利本荘ひな街道展の矢島町郷土資料館にて

 最近新しい活動報告が続きまして、少し間が開きましたが、3月26日と27日に記載した「由利本荘ひな街道企画展」の矢島町における3箇所目の概要をお知らせ致します。由利本荘ひな街道企画展」につきましては、矢島フォーラム
の2月18日に記載されてありますのでご参照して 下さい。

 矢島町舘町の山田家は、天保14(1843)年に酒田から矢島へ転住し、4代続いた指物師(木を組み合わせて家具や調度品などを作る)の家柄です。

Photo_3  山田家の雛は、昭和の初め頃に家人の女の子の初節句に古今雛などを購入し、それ以降3・4代目が集めたものです。内裏雛は享保雛・古今雛の2対、道具類は雛道具のほかにも、指物職人の目で集められら手棚・水差・堤重箱(行楽用のお弁当入れ)など、実際に使われていたものも一緒に飾られています。特に手棚は、藩主生駒家生駒車紋入りで、藩主の寝室に置かれていたものと伝わっています。
 享保雛は男雛高さ46cm、女雛34cm、古今雛は36cm・女雛35cm。製作年代はいずれも不明です。
五人囃子は童形の囃子は能楽、成人の囃子は雅楽を奏しています。
指物職人の見立てによるものだけあって、道具類の豪華さには目をひかれます。様々な雛道具のほか、藩主生駒家紋の生駒車が施された手棚、酒田から購入した庄内酒井家紋の下がり藤が施された水差、また梨地・蒔絵が美しい重箱、堤重、文箱など、実際に使用されていた道具類も見どころです。


 変わって、藤田家の雛人形の写真も紹介いたします。

Photo_2  矢島町七日町字羽坂の藤田家の内裏雛は高さ男雛40cm・女雛35cm。製作年代も不明ですが、男雛の冠が金色であることから、享保雛の中でも初期(江戸時代中期)のものであるか可能性があります。
伝来の経緯は不明ですが、藤田家には他にも、伝高松初代藩主生駒親正用の采配と、矢島9代藩主生駒親章の奥方の実家である喜連川家の二引両紋入の将棋盤が伝わっています。藤田家に伝わる品々との関係から推測すると、雛も同様に生駒氏に由来したものかも知れません。
姫君たちの初節句に雛人形を送る記述が残されておりますが、若君(男子)の場合は5月5日の端午の節句に兜などが贈られています。誕生のお祝い品ではありますが、子供が幼くして亡くなることが多かった江戸時代、初節句に女子には雛人形男子には兜を、というように子供たちそれぞれの成長を願ってこれらの品々を送ると いう慣習が、旗本生駒家の記録からも見て取れます。
記述に従えば贈られる雛は「雛揃」ではなく、「内裏雛‐対」など、人形のみのようです。また姫君たちには初節句だけではなく、折りに応じての上巳の節句に複数回雛人形が送られる場合があることがわかりました。

 以上で矢島町の3会場のご紹介を致しましたが、とてもふるさとの誇れる歴史と伝統を再発見する事が出来ました。
今後は時間を見つけて、合同企画展の、岩城町・大内町・本荘市など他町の展示物を見てみたくなりました。
この企画展は4月20日まで開催されておりますので、皆様にも是非鑑賞されます様にお奨めします。

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