« 秋田県由利地域振興局への訪問と本荘さくらまつり。 | トップページ | 秋田県立美術館と(財)平野政吉美術館 »

2008年4月18日 (金)

素晴らしい映画を見て感動しました。

も会員である「日本会議」は、美しい日本を守り伝えるため、「誇りある国づくりを」を合言葉に、提言し行動する団体として平成9年に設立され、秋田県支部は団体設立と同時に設立されて10周年を迎えています。
今年の1月31日、日本会議秋田支部内では初の由利本荘支部が結成され、私は顧問の委嘱を受けております。
その時の様子はこのブログの2月1日に記載しておりますのでご参照下さい。
その際に来秋された、本部事務局次長から、3月1日から全国一斉に上映される映画明日への遺言は、潔い日本人が描かれている素晴らしい映画ですので是非ご覧下さい」と紹介されており、是非見に行こうと思っていた映画でしたが17日に見ました。素晴らしい映画でした、私の言葉ではとても説明しきれないので、映画館で配布された「産経新聞の映画紹介特別版」の記事を持って紹介させて頂きます。
部下を守り、一人絞首刑も「本望である」
第2次世界大戦後、連合国による日本の戦争犯罪者を裁く軍事裁判が始まった。東条英機元首相らA級戦犯の東京裁判での公判記録は歴史文書や記録映像などで語り伝えられているが、B・C級戦犯の裁判が行われた横浜地方裁判所での記録を知る人は少ない。
映画「明日への遺言」主人公、第13方面軍司令官兼東海軍司令官岡田資(たすく)中将は、この戦犯裁判で、戦勝国・米国に対し、たった一人で法廷闘争に挑んだ。
敗戦で自信と誇りを失ってしまった戦犯が少なくない中、岡田中将は強靱な意志と誇りでこの裁判を法による戦い=法戦と称して臨み、戦勝国の論理で裁こうとする米国の裁判官や検事と真正面から対峙、非人道的な無差別空襲の罪を認めさせようとした。原作は『野火』『俘虜記』『レイテ戦記』など多くの戦記物を著した作家、 大岡昇平の実話『長い旅』。
大岡は「軍人は上級になるほど政治的になり、ずるくなるが、軍司令官クラスには立派な人物がいる」と語っており、歴史に埋もれていた岡田中将の法戦の記録を10年以上にわたる地道な取材活動で掘り起こし、昭和57年、実録『ながい旅』として発表した。
岡田中将が選んだ選択は強固な信念に貫かれていた。昭和20年、名古屋空襲で飛来、被弾して降下してきた米軍爆撃機B29の搭乗員38人を処刑した責任を問われ、B級戦犯として横浜の軍事法廷で昭和23年5月、絞首刑の判決を下される。が、法廷を退場する際、彼は妻に向かって一言こう告げる「本望である」。そして翌年9月、刑は執行され、岡田中将は59年の人生を終えた。処刑台に向かう最後の日、彼は部下にこう言い残した「君たちは来なさんなよ
部下に処刑の責任を負わせたり、事実を隠蔽して責任逃れに奔走する戦犯が少なくなかったが、岡田中将は一貫して「全ての責任は私にある」と主張。裁判にかけられた19人の部下の罪を一人で背負う覚悟を固めていた。さらに米軍が国際法を違反し、無差別爆撃を行った事実を公判の中で立証し、その罪を法廷で訴え続けた。
敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪い事は皆、敗戦国が負うのか?なぜ堂々と世界環視の内に国家の正義を説き、国際情勢、民衆の要求、さては戦勝国の圧迫も、また重大なる戦因なりし事も明らかにしようとしないのか・・・」。19人の部下を全員釈放させ、ただ一人死刑に処された岡田中将の揺るぎなき信念は現 在も不変である-と「明日への遺言」は訴える。
ここまで産経新聞の映画紹介の特別版の記事です。
Ashitahenoyuigon01_1024
岡田中将の訴えた「無差別爆撃の国際法上に於ける違法性」について映画の解説本に下記の様に書かれてありました。
無差別爆撃については1923年、オランダのハーグで開かれた「戦時法規改正委員会」(日・米・英・仏・伊・蘭)で「爆撃は軍事的目標に対して行われた場合に限り適法とする」と宣言した。これらのルールは守られず、日本においても、1945年2月19日の東京の空襲を皮切りに、軍事的目標のない郊外爆撃、地域爆撃が 行われていた。名古屋の爆撃も38回に及び、最も犠牲が多かったのは、5月14日の焼夷弾爆撃である。「さんざん爆弾で人を殺しておいて、自分はパラシュートで降りてきて助かろう、というのは虫が良すぎる」。これが当時の市民の感情であった、と解説されています。
私が最も心に残ったシーンは、裁判で次第に明らかになる「岡田中将の潔さ、固い信念」などが3人の検察官、5人の裁判委員にも伝わり、裁判委員長がこう促します。「我が国の軍法に報復は正当な行為であるとされてありますが、貴方の命令も報復だったのではないですか?」と助命の水を向けたにも拘わらず岡田中将は 「報復ではなく、処罰です」と答えるシーンです。
報復であると答えた場合には一緒に裁判にかけられた部下も同罪になります。岡田中将はあくまでも軍律に基づいた処罰であり、自分が命令した、故に責任は司令官である自分一人である、と主張したのです。
この事が岡田中将の固い決意を感じ取って裁判員は裁判を決着させたのでした。
更に、この裁判の主任検察官は判決後、岡田中将の助命嘆願を行っております。
この映画は3月1日から全国公開されていましたが、秋田では4月18日に上映終了します。
この映画の鑑賞を自分のスケジュールの中で優先順位を上げてもっと早く見ておくべきだったと猛烈に反省し、後悔しております。もっと早くに見ていたら必ず2度、3度と映画館に足を運んでこの映画を鑑賞し、一度では読み取れないシーンを見る為にスクリーンを見つめていたと思います。
私の中の映画史が塗り替えられました、この映画は私のこれまでの人生の中で第2位にランキングされました、それほど私にとっては素晴らしい映画でした。
ちなみに私の中の映画史の第1位は私の生まれた年である昭和27年に作られた、黒澤明監督作品の「生きる」です。
だいぶ前からビデオテープをダビングして友人に差し上げておりましたが、今ではDVDが発売されておりますので、私がそこまでしなくても良くなりました。この「明日への遺言」もまもなくDVDで発売になる事でしょう、勿論私は買い求めますが皆様にも鑑賞されます事をお勧め致します。
映画「明日への遺言」の紹介の最後に当たり、皆様にこの様な名作の紹介が遅れました事を深くお詫び申し上げます。

|

« 秋田県由利地域振興局への訪問と本荘さくらまつり。 | トップページ | 秋田県立美術館と(財)平野政吉美術館 »

活動報告」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 秋田県由利地域振興局への訪問と本荘さくらまつり。 | トップページ | 秋田県立美術館と(財)平野政吉美術館 »