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2008年3月10日 (月)

久々の晴天でした。

3月に入ってからも毎日、雪やみぞれが降り続いていましたが、今日は久し振りに好天に恵まれました。
朝起きると直ぐに南側のカーテンを開けて、いつもと同じように鳥海山を見ます。
今日はくっきりと雪の覆われて、斜面の凹凸が見えずに柔らかな曲線を描く全景が見えておりました。

朝一番に鳥海山の姿が見えるとその日一日が充実した一日になる様な感じを持ちます。
逆光ですし、望遠撮影も出来ない携帯カメラでの撮影ですので、よく見えないかもしれませんが、我が家の2階から見える鳥海山の写真を掲載します。
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午前中には私の会社の社員のご母堂様永眠による火葬がありました。
日本女性の平均寿命を超えての逝去でしたので、天寿を全うして人生を終えられました。我が町の火葬場は約7年程前に新築され、炉の能力も高くて約一時間でその役割を終えます。家族、親族、関係者など皆でお骨を丁寧に拾って箱に詰めて自宅の祭壇に納めました。
人が家族との永遠の別れに遭遇した時、宗教が心の支えになる事を私も昨年8月に母を亡くして再確認しました。
今日も私と同じ菩提寺の曹洞宗・高建寺でした。
亡くなって直ぐに駆けつけてくれての枕経、自宅に別れを告げる出棺の際の読経、火葬場での読経を聞きながらのご焼香、お骨を拾う前の読経、家について家と共に骨箱を祭壇に納めての読経、こみ上げる悲しみを癒してくれる様な低音で心に染みいる読経。心の底から有り難いと思います。
私は曹洞宗が青少年教育向上を目的として開校された駒澤大学の卒業生です。

大学では入学式で大体育館に響き渡る読経の響き、祝いの時、悲しみの時、節目節目の読経をとても身近に感じながら学生生活を送りました。
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私の父は私が大学を卒業して2年後に53歳の若さで急病で逝去しました。
今56歳の私が父が亡くなった53歳を超えた時には深い感慨を覚えました。
駒澤大学の沿革は歴史は今から406年の年月を遡ることになります。

1592年(文禄元年) 江戸駿河台吉祥寺境内に「学林」設立
駒澤大学の前身である「学林」は、曹洞宗が禅の実践と仏教の研究、そして漢学の振興を目的として設立当時は吉祥寺会下学寮と呼ばれていました。 
1882年(明治15年) 麻布日ケ窪に校舎を新築して移転
10月15日に校名を「曹洞宗大学林専門学本校」とし、本学はこの日を開校記念日としています。 
2002年(平成14年) 駒澤大学開校120周年を迎える。
建学の理念 駒澤大学の設立の目的は「仏教の教義並びに曹洞宗立宗の精神に則り学校教育を行うこと」にあります。この教育目的を遂行するため、本学では禅の精神に基づく「行学一如」の理念を教学の基本としています。
大学は、真理を探究し高度な専門知識を教授する場ですが、単に知識を修得するだけでなく、人間を育成する場でなければならず、学問にはその実践行が相応していなければなりません。「学ぶ」ことと「行う」ことは常に一体であり、学んだことは社会に還元しなければなりません。
ゆえに本学では、この「行学一如」による人間形成を建学の理念としているのです。
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駒澤大学は近年、お正月の2日と3日に全国に放送される箱根駅伝での常勝校として、また附属苫小牧高等学校は連続甲子園出場などで有名ですが、30年前から私が所属していた吹奏楽部は全国大会連続金賞受賞校として吹奏楽関係者なら知らない人はいないでしょう。
私の担当楽器はフルートでした。2年生の時から全国コンクール大学の部で初の金賞を受賞して、以来10年連続金賞受賞、その後も数回銀賞もありましたが、ほぼ金賞受賞を続けております。
駒澤大学の学生生活の紹介では表紙を飾っていますし、

吹奏楽部独自のホームページも充実しています。
今日のブログの表題は「久々の晴天でした」が書き進めている内に全く別の内容を書き込んでしまいました。
これも今朝の鳥海山があまり綺麗に見えて、心が晴れやかな事が書かせたのだと、ご寛容下さい。
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