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2008年3月31日 (月)

ソウルで国宝第1号の「南大門」が放火で全焼した現場を視察しました。

秋田空港発着の唯一の国際定期便であるソウル便存続の為の協議を4カ所で終えた後に、今年の2月10日放火によって全焼した南大門の視察に行きました。
南大門は今から600年前の1,398年に建造されたソウル最古の木造建築。1,447年以来、頻繁に改築が繰り返されて来て折り、1,962年には「国宝第一号」に指定されています。
火災の関連記事はこちらを参照して下さい。
13日には放火の容疑で男が逮捕されました。

まず遠くから見えたのは、焼け残った部分の解体と再建築準備の為に南大門をグルリと囲んだ鉄板の塀と屋根にあたる部分の鉄パイプの足場であった。
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近くに寄ってみると、建物の再建の為の足場の鉄パイプが組まれていNec_0345た。
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そして正面に見える広場には大きな南大門の写真を飾った祭壇が作られていました。大きな花かごと祭壇の多くのお供え物を見るにつけ、韓国民の心の痛みはとても大きいものであろうと容易に察する事が出来ました。
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国によって直ぐに再建は決定したのですが、材料となる韓国産の「金剛松」の大木の乾燥材の入手が困難を極めて、完成の見通しは立っていないそうです。
この事件が発生して直ぐに私は今から58年前の昭和25年に京都・金閣寺が若い見習い僧侶によって放火され全焼した際に、日本人が大きな喪失感に襲われたと伝えられている事が思い起こされました。
金閣寺放火事件はその犯人の複雑な感情を解き明かそうとして、後に多くの文学作品が創作されました。
三島由紀夫は小説『金閣寺』で犯人は「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して金閣における美の憧れと反感を抱いて放火した」と分析し、水上勉は小説『五番町夕霧楼』、『金閣炎上』などの中で犯人の心理を「寺のあり方、仏教のあり方に対する矛盾により美の象徴である金閣を放火した」と分析したが、実際のところ真相は解き明かされる事はなかった。
金閣寺放火事件に関しましては、フリー百科事典ウィキペディアで”金閣寺放火事件”で検索いたしますと詳細がご覧になれます。
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皆様も火の元には十分にご注意して下さい、600年の歴史も木造建築の最大の弱点である火災に遭えばわずか数時間でその姿をなくしてしまう恐ろしい災害である事を再認識しました。

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