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2008年1月 9日 (水)

自民党秋田県連の常任総務会で金田勝年氏を公認申請する事が決定しました。

昨日ご報告いたしました、秋田県第2区選出の衆議院議員 野呂田芳成先生の引退表明の際に後継者指名を受けた前参議院議員の

金田勝年氏が自民党秋田県連に対し正式に出馬表明と公認申請がありました。
1 午前10時に自民党秋田県連の鈴木洋一幹事長と鶴田有司総務会長立ち会いの下に津谷永光会長に自民党公認要請書が手渡され、午前11時に招集されていた常任委員会に諮られ、協議の結果満場一致で秋田県連から自民党本部に対して公認申請する事が決定されました。

1_2 参議院議員を2期12年間務められた金田勝年先生と私の出会いは今から13年前に遡ります。
前任の参議院議員が消費税導入逆風で自民党が負けていた秋田県で「議席奪還」を望む候補者として当時の大蔵省 主計官であった金田勝年氏に白羽の矢が立ったのでした。

時の秋田県連会長はこの度引退を表明した野呂田芳成衆議院議員、幹事長は5期目のベテラン県議会議員で私と同じ選挙区の楢岡貞龍氏でありました。
金田氏は平成6年12月に野呂田会長、楢岡幹事長からの出馬要請を受けて「少し考える時間を下さい」と答えたと私達に報告がありました。
その報告と共に「是が非でも金田氏に出馬を決意させたい」として、当時1期生だった私は若さ故に自民党秋田県連の青年部長の役職を頂いておりましたので「佐藤君、同世代の貴方達からも社会で政治は重要な役目を持つ事を伝えて決断する様にお願いして来なさい」と当時2期目で青年局長であった現在秋田県連会長である津谷永光県議とが指示を受けて、金田氏に面会に上京しました。私が42才、津谷県議が43才、金田氏が45歳の時でした。 

平成7年の丁度今頃、新年の仕事始めの数日後だったと記憶しております。
自民党本部の会議室で約1時間説得して「要請は良く解りました、ちょっと私に付き合って下さい」と金田氏に連れて行かれたのが、元総理大臣の竹下登先生の事務所でした。
大蔵省幹部候補生の金田氏の結婚の仲人が竹下登先生だったのでした。
金田氏からの事前連絡があった為に、竹下登先生は事務所の応接室であのニコニコ顔で私達を迎えて下さいました。
名刺を交換させて頂いたらすぐに竹下先生から「津谷さん、佐藤さん遠い所をわざわざ有り難う、もし金田君が政治の世界に入る決断をした際にはどうぞ手厚い支援をお願いしますよ」と私達に頭を下げられたのでした。
私達はびっくりしながらも「私達も全力で支援する覚悟ですので竹下先生からもどうぞ出馬を決意させて下さい」と言うのが精一杯でした。
そして1月下旬に金田氏は出馬を決意して大蔵省を退官し、秋田での選挙活動に入りました。
私と津谷県議も平成7年4月の選挙の際には金田氏を紹介しながら自分の選挙をして、無事に県議を継続する事となり、7月には金田氏が初当選を決めて今日まで秋田県の地域課題を共有する政治活動をして参りました。

Pim03411 当選してからの金田氏の活躍振りは私が紹介するまでもなく、大蔵省主計官としての経験を遺憾なく発揮され秋田県にとって、また国政に於いても存分な活動をされました。
平成11年には農林水産政務次官に就任、平成13年には自民党厚生労働部会長を務め、平成17年には外務副大臣として活躍された事は記憶に新しい所です。

*

Nec_0094 もちろん私の選挙では応援演説など全力で支援して頂きました。
この度、私の地元とは選挙区が違う秋田県第2区からの出馬となりましたが、必ずや勝利をして、これまでの経験を活かしながら衆議院議員としての活躍を願いながら、私も全力で支援しようと決意を新たにしている所です。

祈 必勝 金田勝年候補
金田勝年候補のホームページは

こちらです。

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